軽井沢に子育て移住しました

軽井沢⇔東京での二拠点居住にチャレンジする新米パパのブログ

「不便益」から考える地方移住

最近はまっているVoicyのワ―ママはるさんの放送がきっかけで「不便益」という言葉を知りました。「不便益」とはあえて「不便」であることから得られる益があるという考え方です。こちらの本がもとになっているようで、なかなか面白い本でした。

この本を読んで、移住後の満足感はこういうところにあるのかというのがすごく腹落ちし、逆に言うとこういう考え方ができるなら地方移住を楽しめるかもというのがわかった気がするので、たまには真面目に書いてみます!

  •  超便利社会だからこその不便益

テクノロジーが発展し、世の中どんどん便利な世界になっていく中で、車は自動運転になり、スマホで何でも買い物ができるようになり、まさに超便利社会に突入していきます。一方で自分で考える機会、時間、何をするにも手触り感のようなものがなくなってしまって来ているように思います。

そんな中、「不便である」ことの益に意図的に注目し、共感を得ている仕組みやサービスがあります。本書で出てくる事例としては「阪急電車の運転台時計」「星のや」などはすごくわかりやすいです。

阪急電車の運転台時計というのは、阪急電車の運転台の上にある時計がデジタル時計ではなく、敢えてアナログの時計になっているという話です。乗車前に運転手は自ら時刻を合わせて、アナログの時計を運転台に設置するそうです。客観的には電池切れリスクの対応、時間の読みやすさとも言えますが、一番の理由は自ら時刻を設定することで時刻管理への主体性の創出の効果があるようです。

もうひとつは「星のや」です。

事例として載っていたのは「星のや京都」ですが「星のや軽井沢」も同じような狙いがあるように思います。星のや京都は嵐山の川を渡らないといけない場所にあり、小舟に乗らないと宿にたどり着けません。軽井沢も駐車場から宿は敢えて離れた場所にあり、専用の車にスタッフと同上しないと敷地内に入れません。

これは旅らしさ=非日常を演出するためにわざわざ「不便」を取り入れていると思われる有名でわかりやすい事例です。

他にもデジカメ時代のはずなのに若者に人気なチェキや行きづらいこそ人気の秘湯など、不便だからこそ価値を持つものの事例がたくさん出てきます。そして、不便益の事例に共通する性質として以下の6つを上げています。

アイデンティティがある

②キレイに汚れる

③回り道、成長が許される

④リアリティと安心

⑤価値、ありがたみ、意味

⑥タンジブルである(実際に触れることができる、手触り感がある)

詳細な解説は本書を読んでいただきたいですが、③、⑥はすごく共感できると思います。何でもそうですがあまりに簡単にできてしまうことはありがたみがなく、工夫の余地があり、また自己成長が感じられないので面白くありません。また、手触り感というのもキーワードにあると思います。

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キャンプも不便益と言える
  • 不便益に溢れた地方移住

ここで移住生活を振り返ってみると東京都心から長野の地方(軽井沢、御代田のような都市でもない小規模市町村)に移住したことはまさに不便益に溢れていると言っていいでしょう。

東京都心であれば地下鉄とバス、タクシーを使えばどこでもすぐに移動ができ、オール電化で何でもスイッチでコントロールできるマンション、ネットスーパー、ウーバーイーツ、ベビーシッターさんもたくさんいますし、ゴミは24時間捨て放題というとこも珍しくないかと思います。

*ただし、お金が条件付きになるというのが資本主義と便利社会の怖さだと思います

一方、地方移住後はというと、強烈に寒い冬に備えるために薪ストーブ、冬タイヤ、防寒の準備はいくつも必要ですし、食料品の買い物は基本的には自らスーパーに足を運び、ウーバーイーツなんてもちろんありませんし、ベビーシッターさんも相当限定的でほとんど使えません。ゴミの分別ルールは非常に複雑で基本的に家まで回収なんて来てくれません。

と不便さでいったらキリがありません。

一方で不便益の塊である薪ストーブの魅力はめちゃくちゃ大きいです。翌年のために一年前から薪の準備がはじまり、着火のしやすさ、火持ちを考えて、種類の違う木を準備して、薪棚を準備して、とスイッチひとつで温まる暖房に比べて膨大な時間と手間を要します。

それでも自分で薪割りをして、火をつけて大きく育てていくという行為の充足感は素晴らしいものがあります。まさに「不便益の代表物」と言えると思います。

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薪ストーブは暖房器具としては不便でしかないw

もうひとつ例をあげると子どもの幼稚園や学校の送迎というのも実は捉え方によっては不便益だと思います。あまりの長時間は不が大きいかと思いますが、だんだんと成長していく中で子どもと2人きりで話すことができる時間はかなり貴重なものですし、帰りの車内の1人時間はVoicyやオーディブル(音声読み上げ本)によるインプット時間としてすごく有効な時間だと最近認識しています。

他にも不便だからこそということは都市と比べて地方に溢れていると思います。

逆にベビーシッターはいないのか?ゴミ捨ては自由にできないのか?学校の徒歩圏に絶対に住みたいのがどうにかならないか?

こういった都心では当たり前に実現できてしまうような利便性ばかりを求めてしまうようなら移住してもハッピーではないでしょう。不便さの中にどうやって、「益=楽しみ」を見つけていけるか?が地方移住のコツかもしれません。

  • これからの時代はいかに意図的に不便益を仕掛けられるか?

本書の中でも再三、言及されていますが、不便=全て素晴らしい側面がるある ではありませんし、不便=前時代的な懐古主義というのも違うと思います。便利であることを決して否定するわけではありませんし、利便性を教授すべきことはたくさんあります。

一方で便利であるからこそ失っていることがあるということ、不便だからこそ価値があるものがあるということを知っていること、そういう発想の転換ができることはこれからの時代においてすごく大事じゃないかなと思います。特に子どもが育つ環境は便利にし過ぎないということ自然のような絶対自分の力でではどうにもならないような環境で育つことが自ら考える力や体力をつけるために大事なことなんじゃないかと考えています。

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整備されていない土の上で過ごすことで体幹も強くなりそう

スノーピークが言っている「人間性の回復」「人生に野遊びを」というのはまさに不便益のことだと思いますし、稲作のような農体験やセルフビルドのような自ら作るというところにもこの要素は詰まっているように思います。

地方としてももし移住者や人を呼びたいということであれば、都市に対抗するのではなくて、敢えてこの「不便益」に注目して仕掛けられると面白いかなと思いました。

ということで、最近インプットからのアウトプットが足りていないなと思ったのでVoisy⇒読書⇒思ったことを書いてみました!それでは、また!